
STORY〜復興をめざして2025
これまで、火事のことを公にできずにきました。
途中、支援を呼びかけることを諦めてしまったのです
そして、私は6年間、音楽家として音楽講師として
未来に希望が見出せないまま
音のない世界を彷徨い続けてきました
2019年12月11日
この日は、私を含め家族全員にとって
決して忘れることのできない日となりました。
その日、私たち家族は類焼に遭いました。
幸いにも、家族全員が無事でしたが
突然すべてを奪われたあの瞬間から
火元からは何一つ言葉かけもないまま・・・
建物や暮らしは元に戻せても
心の奥に刻まれたもの、焼け残った記憶や静かな悲しみは
そう簡単には元に戻りません。
さまざまな思いとの葛藤の中で
気づけば今年で7年目が経とうとしています。
あの日を境に
家だけでなく、大切にしていたきたはずのご縁さえも
一瞬にして燃え尽きてしまったのです。
『火事は、すべてを持っていく』
その言い伝えの通りに
火は物質的なものだけでなく
心の支えまでも焼き尽くしていきました。
それでも――残ったものがあります。
それは、それでもなお生きようとする小さな希望です。
私の人生には、火事以前から
ずっと「痛み」がつきまとっていました。
幼少期の傷つき体験、内向的な性格、氷河期世代の波瀾万丈な生き方。
それらはすべて、私の中に強い防衛本能を育てました。
さらに、火事を「起こした側」ではなく
「類焼した側」として風評被害にも晒されました。
声をあげられないまま、孤独と誤解の中で耐え続ける日々。
それは、過去の自分の傷とぴったり重なっていたのかもしれません。
振り返れば――
私は、幼いころから“心に傷”を抱えて生きてきました。
「自分には価値がない」
「努力しても報われない」
「人に愛されない」
そんな思い込みの中で
知らず知らずに自分自身を責め続けてきたのです。
安心できる居場所を求めて
幼少期に心救われた二胡に心を重ね
生きてきました。
でも、どこかで
「苦しみや不遇を引き寄せてしまう」ような人生の連鎖を
自ら断ち切ることができずにいたのかもしれません。
火事は、そのすべてを炙り出し
私に「生き方を問い直す」ように迫ってきました。
あの火が照らしたものは、ただの瓦礫ではなく
私の人生そのものだったのかもしれません。
それからの私は、
“ただ立ち直る”のではなく、
“自分を許し、本当の意味で生き直す”
ことを目指すようになりました。
そして、音に救われてきた私だからこそ、
今度は「音」で誰かを癒したい。
「音」で心の奥にある痛みをやわらげたい。
その想いから
ニ胡講師として、二胡演奏家として
再び人を救いたいという幼少期の夢を胸に
もう一度歩き出すことを決めたのです。
私は演奏家として、講師として
「復旧」はできても、「復興」はまだ途上です。
しかし、今こうして言葉にしようと思えたのは
私自身が「類焼という現実」と向き合う覚悟が
少しずつ芽生えはじめたから〜かもしれません。
私は、支援を呼びかけることができませんでした。
声をあげ続けることを諦めてしまいました。
今はただ、「声をあげられない誰か」のために
私の体験を提供したいのです。
類焼経験や風評被害を通じて見えてきた
氷河期世代女性という立場
幼少期の傷つき体験からの心の問題
それらと向き合うことで見えてきた社会問題
あの日のことを、そしてそこからの歩みを――
同じように傷を抱える誰かの力になれることを願って
出逢いは人生の宝物
二胡を通じたご縁に
言葉に尽くせぬほどの感謝を込めて・・・

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